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見開きトップで使われたペキンノ鼻から知床岬方面を望むの写真。僕にとって2回目の知床エクスペディションとなったカヌーワールドの取材のときはここには上がらなかった。なぜなら後方から台風が迫っていたから少しでも先に行く必要があったから。毎回見られる風景は変わり、撮れる写真が変わるのです。

知床半島。日本で最後に残ったウィルダネスと言っていいだろう。実際、一昨年カヌーワールドの取材で周ったときにも、途中携帯電話はauが一箇所、それも崖によじ登ってようやく電波が通じた程度。今時繋がらないということの方が難しい日本の携帯電話エリアで、ひとつの半島沿岸が丸々繋がらないというのは珍しい。現代人にはこれだけでも冒険行だろう。

この場所的な魅力もあるが、噂に聞く名ガイド、新谷暁夫氏のガイディングで周ってみたいという興味もあった。ところが、僕が取材も合わせて漕ぎたいと氏に話す直前、当時のカヌーライフ編集部と新谷氏の間にはちょっとしたいざこざがあったようで(詳細は聞いていないし、聞く気もないけど)、僕が今回のエクシペディション参加について、「カヌーライフ誌に載せたい」と言うと、「あんたが撮ったものをどこに載せようと、それはあんたの勝手だ」と言われた覚えがある。なんかたいへんな人に取材依頼しちゃったかなあ、と思いつつ北海道へと飛んだことを覚えている。

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背後に滝のある、まるでアルプスの中にあるがごとくの番屋。しかし今はもうこの番屋は放棄され、荒れ放題だった。

この時のエクスペディションは後に新谷氏の右腕となり、数々のエクスペディションをこなしていく新井場さんのデビュー年でもあった。当時は有名ガイドさんのこうしたエポックにあたることが多くて、この数年前、沖縄カヤックセンターの慶良間ツアーに参加した時も、大城さん(漕店)のガイドデビュー年だった。

さて、このときのスタートは宇登呂側。出発して1時間足らずで着いた、知床五湖の下の断崖を目の当たりにしてえらく感動したのだった。

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鹿が頭ごと落ちていたり、番屋の廃墟にガラス浮きが残っていたり。このときは僕も鹿のツノの片方を拾い、今も家の帽子掛けになっている。

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行程上、ほぼ唯一俯瞰で撮れるポイントになるのかな。2回目のときはなぜか上がらせてくれなかったけど。
この当時は4泊5日(予備日+1日)で知床半島を周っていたと思う。
オホーツク海側は順調にカヤックを漕ぎ進めたが、知床岬はやはり多少吹き、そして太平洋側で何艇かが沈をした。ボトムが割れて修理をしつつ、漕ぎ進めていった。

実際の掲載誌はこちら。

スライド2

見開きどーん。

スライド4

知床五湖の下は「これが日本か」と思うような絶景。

スライド3

このときはウトロ側の方が面白いと思っていた…。

スライド1

そして掲載誌。表紙にしっかり「知床半島」。トップですからね。

このときはヒグマを撮ることはできなかったし(もちろん幸いなことなんだけど、写真家としては撮りたくはあった)、最後に事故もあったりしたが、やはり今まで日本のどことも違う写真が撮れたり、ツアー後に新谷氏の要望で予定を変更してロッヂに戻って酒を酌み交わしたりと、いろいろなことがあったエクスペディションだった。

その後、カヌーワールド誌で取材することになるのは、実に16年後となるのだった。